2016年4月1日金曜日

山崎誠のいない『村上隆のスーパーフラット・コレクション』は、天皇が来ない靖国神社

今日、横浜美術館の『村上隆のスーパーフラット・コレクション』に行ってきた。
この展覧会と五百羅漢図のような近年の村上作品に対する評価は、こちらの浅田彰の評にほとんど同意できる。
村上の五百羅漢図を評価しちゃうのはイラストとアートの区別も付かないような輩で、あれが浅田の言うように「コンセプトの平板な図解でしかない」のは、最低限共有すべき常識的感性である。


それで『村上隆のスーパーフラット・コレクション』だが、ここ30年くらいのアートシーンを総決算するような非常に重要な展覧会なので行っといた方がいい(今月の3日まで)。

内容は大きく二つに分けられて、一つは骨董、もう一つは現代美術なのだが教科書に載っているようなものよりも新しめの作品が多い。

骨董については、魯山人の旧蔵品と作品、古道具坂田(坂田和實)を通したものが目立った。
他には民芸趣味のスリップウェアが多かった。
茶碗などは普通に良いものがあり、恐らく非常に高価なものだと思う。
川喜田半泥子の茶碗もあったが端正なもので、あれを見ると村上は骨董にはあまり遊びを求めないコレクターだというのが分かる。織部的なノリは感じられない。
以前にどこかで言っていたが、魯山人が資料として骨董を買い集めた感じに近い。
あるいは柳宗悦の民藝館的なコレクションで、宗悦的なものと最も本質的に対立した青山二郎や白州正子のような面白さはあんまりない。


一方の現代美術の方だが、これが凄い。というかひどい。
これは村上はあえてしょうもないものを集めたというわけじゃなくて、ここ30年くらいの現代美術がどうしようもないということだろう。

一番多いのは奈良美智の作品で、以前はそれほど嫌いというわけでもなかったが、今回ですっかり嫌になった。
あれは下らない。

大竹伸朗は良かったが、岡﨑乾二郎の「あかさかみつけ」が嫌がらせのように上の方の気が付かないようなところに展示されていたのもちょっと面白かった。

ヘンリー・ダーガーも初めて見たが、綺麗で驚いた。
あれはアウトサイダー・アートという分類を越えた何かがある。奈良美智のいやらさとは全く違う。

個人的にいいなと思ったのはこの並びの作品で、左が灰原愛という人の木彫、右がクララ・クリスタローヴァの「とても暗い鹿」。
「とても暗い鹿」は「とにかく明るい安村」などと対極にある静謐な感じが、となりの女性像とセットで良かった。



以上のように良い作品もあるのだが、大半がどうしようないものばかり。
端的につまらない。
コンセプトが見え透いていて上滑り、モノとして現物を見ても最初に骨董を見たせいか、東急ハンズで材料を買ってきました的な安っぽさが目から拭い去れない。

だが、このガラクタ、ゴミの集積をこれでもかと見せられる体験というのは大きな意味がある。
現代美術、それはもうクズでしかないのをこの展覧会を通して教えてくれる村上隆は重要な仕事をしたと思う。


念のために言っておくが、現代美術と言われるものが全てクズというわけではない。
というのも、この展覧会ではほぼシームレスに横浜美術館の常設展示を見ることもできるのだが、そこにあったロイ・リキテンスタイン、アンディ・ウォーホル、ジョアン・ミロ、ポール・デルヴォーなどの「昔の現代美術」はやはりなかなかのものだった。



また、2007年の作品でもメキシコのDr.ラクラという人のグラフィティ風の絵画は良かった。



さらに、写真作品も中平卓馬などが展示されていて嬉しかった(洋服と椅子を造るのは全然違うというのが川久保玲のしょうもない作品で分かったのも良かった)。


これらのまともな作品を見た後で再び村上のコレクションを見てみると、村上が巨費を投じて集めた現代アートのクズっぷりがより一層眼前に迫ってくる。
現代のワールドワイドな数寄者とはかくあるべし、という気概のようなものが感じられる。


だがそこには、決定的に欠けているものがあるのだ。


廊下のような場所に小泉明郎という人の「若き侍の肖像」(09年)という映像作品が展示されていた。
その前にソファがあって休憩するのにちょうどいいやと思って見ていたのだが、「ああ、言いたいことは分かりますわ」という程度のどうでもよさ。
だが、そのときに思ったのだ。

「なんで、ここに山崎誠がいないんだ!」

金バエはクズの王様である。
クズを集めたこの場所に王がいないってどういうことだ?
これじゃまるで天皇が来ない靖国神社じゃないか。

(左が小泉明郎の「若き侍の肖像」、右が金バエこと山崎誠)


村上隆が金バエを知らなかったらしょうがない。
しかし、彼はミスター経由で金バエのことは認識しているのだ。
ただ、これを読むと、あまり深くは理解していないようである(神聖かまってちゃんのの子が村上に金バエを会わせようとしたが、村上が拒否したようだ)。


『村上隆のスーパーフラット・コレクション』には絶対に金バエが必要だった。
山崎誠のいないこの展覧会はまさしく画竜点睛を欠いちゃってる、としか言えない。


山崎誠は芸術家である。
少なくとも、この展覧会に展示されていたものが芸術なら金バエの放送も芸術である(比較的芸術性の高い最近の放送その1その2)。
映画出演のトラブルの際に行った芸大批判も、今のアートシーンの本質を突いたものであった。

村上隆は金バエを買うべきだ。
最新情報では一旦さとみが放出したが野田草履に追い出されて、再びさとみが買い戻すらしい(事態は流動的で緊迫している)。

このままでは、さとみの方が村上隆より凄い数寄者になってしまう。


本物の数寄者、現代の数寄者ならば、金バエを買わなくてはならない。

さもなければ、20世紀に美と格闘しつつ偽物やコピーとの境界を生きた青山二郎や北大路魯山人の真似事に過ぎないじゃないか。

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