2013年7月27日土曜日

春子は『潮騒のメモリー』をカバーできなかったが、小泉今日子のデビュー曲はカバーだった

皆さんは、NHKの連続テレビ小説『あまちゃん』をご覧になっているでしょうか。
私は見ています。
1日2回、下手したら3回くらい見ています。

このドラマは脚本が宮藤官九郎ということで始まる前から話題でしたが、現在101話を迎えて期待に違わぬ人気と評価を得ています。

私は今の日本において、宮藤官九郎という人は別格に優秀な作家だと思います。
もちろん宮藤氏は作家というよりもテレビドラマの脚本家であり、映画監督、役者、バンド活動など様々な分野で活躍していますが、脚本から繰り出される言葉の精度を思えば、まずは作家としての評価が相応しいのではと思います。

現在の日本では、先日取り上げた宮崎駿と村上春樹の両氏が国民的と形容されるようなアニメ映画監督と小説家の位置にありますが、今後はドラマの作家として宮藤氏が、純文学の作家として中原昌也氏が日本文学の最前線で作品を生み出していくのではないかと考えています。

その宮藤氏の作品であり、また、NHKはドラマ制作においては比較的自由な環境で作品を生み出していることから、『あまちゃん』は良い作品になるだろうと予測していました。
ただ、連続テレビ小説は主演女優に大きく左右されるフォーマットなので、宮藤氏の一見悪ふざけのように見えて実は難しい作品を新人に近いような女優に上手く演じられるのかという不安がありました。

しかし、能年玲奈は大当たりでしたね。

宮藤氏の作品では、キャスティングの重要性とその素晴らしさは言うまでもないでしょうが、『あまちゃん』も主演女優が成功したことで、他の「この人以外に誰がこの役をやるんだ」と言いたくなるような役者同士が、必然的に完成された一つの世界を作っているのでしょう。

その「この人以外に誰がこの役をやるんだ」の筆頭に挙げられるのが、春子役の小泉今日子だと思います。

鈴鹿ひろ美の影武者であった春子は、太巻に本当は自分が歌っていた『潮騒のメモリー』を新たにカバーとして歌わせて欲しいと訴えるのですが、鈴鹿が承諾しないことを分かっていた太巻は「君にはプライドがないのか」と言って反対します。
そして、このことで春子と太巻は決裂して、20年後にアキが太巻に冷遇される原因になっていくのですね。

ところで、小泉今日子はポスト聖子として多くのアイドルがデビューした82年組の一人ですが、彼女のデビューシングルは実はカバー曲でした。
1979年発売の森まどかが歌った『ねえ・ねえ・ねえ』のカバーなのですが、小泉のヴァージョンではキーが少し上げられ、タイトルは『私の16歳』に変えられました。
したがって、カバーと言うよりも「あまり売れなかったが良い曲の使い回し」と言った方が正確かも知れません。
今だとグラビアアイドルなどが昔の名曲をカバーすることは珍しくありませんが、当時はアイドルのデビュー曲でカバーというのは稀でした。
ですから、カバーということはほとんど表に出されず多くの人が小泉のデビューのために作られた新曲だと思っていたのです。
とはいえ、今だと逆にいいんですが、70年代のディスコ調を引き摺る曲調は当時だと何となく古い印象がありました。
ちなみに、『私の16歳』というタイトルは前年の松本伊代のデビュー曲にしてアイドル史上に輝く名曲、『センチメンタル・ジャーニー』の有名な一節、「伊代はまだ、16だから」にインスパイアされたのではないかと思います。

ようするに小泉のデビューは、使い回しの曲と新たに付けられたバッタもんくさいタイトル、そして露骨に松田聖子の二番煎じを意識したルックスと、今考えると結構手抜きっぽい感じだったのです。
これは彼女が所属するバーニングプロダクションが今よりも荒っぽい運営をしていたからかもしれませんが、デビュー当時の人気も今ひとつパッとしないものでした。
トップアイドルと呼べるようになったのは2年後の『 渚のはいから人魚』を出した辺りで、その頃はショートカットにして洗練されたイメージでしたね。
そして、その後は髪を刈り上げて「Kyon2」となり、アイドルの次のフェーズを自ら切り開いていくわけです。

それはともかく、「本当はオリジナルである自分の歌をカバーしたいと訴える春子」を演じる「かつてカバーを歌わされた若き日の小泉今日子のカバーのような有村架純」という倒錯性は、宮藤官九郎の面白さの神髄だと思います。

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