2013年5月24日金曜日

鈴木健の『なめらかな社会とその敵』を読んで

本書、『なめらかな社会とその敵』の巻末にある初出一覧を読むと、「全体に関するもの」として2001年に出た『NAM生成』という本が挙げられています。
全体的なイメージは、2000年に書かれたこの論文でほぼ出尽くしている。本書はこの文献で展開されている内容をその後の10年間の活動によって精緻化したものである。
と書いてあるように、その本の鈴木氏の論文、『第四章 ネットコミュニティ通貨の玉手箱』が本書のプロトタイプとなっているのでしょう。
私は当時、その論文を読みましたが非常に面白いと思いました。

ちなみに、「NAMって何?」と思われる方も多いでしょう。そこは無視して下さい。そこに触れてはいけません。鈴木氏もそう思っているはずです。

それで鈴木氏のその論文なのですが、まず、マイケル・リントンという人が発案した地域通貨LETS(Local Exchange Trading System)をベースに鈴木氏が開発したネットで取引ができる地域通貨システムGETS(Global Exchange Trading System)が紹介され、複数のLETS同士を繋いだInterGETSというアイデアも述べられています。
そして次に、「すべてが投資である貨幣」として相対値貨幣というのものが披露されます。「資本主義のブレークスルーをみている」という鈴木氏のこのアイデアこそが、本書で詳しく解説されている「価値が伝播する貨幣」PICSYです。

そこで、PICSYを理解するにはLETSのことをよく分かっていなければなりません。
本書でもLETSの説明はありますが、その本質的構造は書いてありません。
では、LETSの本質的構造とは何か?
それは複式簿記なのです。
私は何度かLETSの説明を読み、そこで強調されていたゼロサム原理から複式簿記と似ているなと思い始め、実際に取引をシミュレートしてみると完全に複式簿記そのものでした。
だから、LETSのソフトなどわざわざ作らなくても複式簿記の会計ソフトを少し改造して代用することも可能であり、そこから導き出される計算結果の意味は次のようになります。

複式簿記では貸借対照表などを作るために元帳と仕訳帳から残高計算表というのを作成しますが、そこに記載されている値はその会社における任意の時点の現金や預金、借入金等です。一方で、LETSでは、元帳が全体の取引記録、仕訳帳が参加者個々人の取引記録になり、そこから導き出される残高計算表にあたるものは参加者個々人のその時点の通貨保有残高になります。このようにして、通貨保有残高が正確に算出されるので(複式簿記ですから参加者全体で残高がプラスマイナスゼロになれば-ゼロサム原理-計算としては完全に正しいのです)通貨として機能する、というわけです。

ところで、複式簿記では貸方、借方という用語を使いますね。なぜ貸借という言葉を使うのかを詳しく説明するのは難しいのですが、簡単に言えば、そこに貸借のイメージがあるからなのです。
したがって、LETSにおいて、個人の残高がマイナスならば借りている状態であり、プラスならば貸している状態であるとも考えることができます。
ただ、普通は地域通貨においては、返済義務や利子がないので融資のような貸借関係にはなりません。
それは、むしろ融資じゃなくて投資、つまり、投資している人、投資されている人という関係になります。
ですから、LETSであってもPICSYと同様、「すべてが投資である貨幣」と考えてもよいのです。

ただし、LETSには重大な問題があります。
投資している、されているという場合、誰に投資しているのでしょうか?あるいは、誰から投資されているのでしょうか?
それは、地域に対してです。地域コミュニティ全体に対する投資、被投資の額が参加者個人の通貨残高となるのです。
これは、一つの会社の会計記録である複式簿記を原理としている以上、それしか計算できないのは当然です。
もちろん、”地域”通貨なのですから、地域に投資する、されているということが正確に数値として出てくれば、地域通貨としては十分に機能します。
ただ当時、「それでは、やはりコミュニティ至上主義だよな」と思ったのも事実です。
そして、「そういうのって、閉鎖されたコミュニティならではの村社会的な問題が出てくるんじゃないかな。下手したら、独裁者が息子に世襲させるような北朝鮮的な悲惨なことになるんじゃないだろうか?それで内ゲバみたいなことが起こって山形浩生にバカにされるような結果になるんじゃないか?」などとも思いました。

そんなことを考えていたときに、鈴木氏の相対値貨幣のアイデアを読み、「こんな方法があるのか!」と非常に興奮したのを覚えています。
私は数学が得意ではないので原理を正しくは理解できなかったと思いますが、この貨幣の計算方式ならば、コミュニティ全体ではなく参加者個々人に対する投資、被投資が正確に反映される。「これは凄いな!」と思いました。


このときから10年以上を経て、本書では、PICSYの理論とその数学的解説、ソフトウェアの開発と実験や、様々な問題点に対する回答が詳しく書いてあります。
また、通貨の問題だけではなくて、PICSYと同様の発想から生まれた新しい投票システムである「分人民主主義」、そして法や軍事の問題まで、「なめらかな社会」を実現するのための様々なアイデアが繰り広げられています。


ここでちょっと、哲学的な問題を考えてみたいと思います。
「なめらかな社会」の「なめらかさ」とは何と何の間の「なめらかさ」なのでしょうか?

私の考えでは、それはカントの「純粋理性のアンチノミー」における「先天的理念の第三の自己矛盾」の正命題と反対命題を結ぶ「なめらかさ」と捉えています。
つまり、
自然法則に従う原因性は、世界の現象がすべてそれから導来せられ得る唯一の原因性ではない。現象を説明するためには、そのほかになお自由による原因性をも想定する必要がある。
およそ自由というものは存しない、世界における一切のものは自然法則によってのみ生起する。
との間の「なめらかさ」です。
言い換えれば、カントのアンチノミーを解消したい、といういうことなのかもしれません。
世界の複雑さを自覚して生きながら、その自覚を通して世界への働きかけをはじめることが出来れば、私たちの未来は新たなダイナミクスを獲得することだろう。
というのは、哲学的にはそういうことだと私は考えました。
しかし、そこに、一抹の不安もあります。
アンチノミーをPICSYのようなシステムによって解消することは果たして可能なのであろうか?ということです。
システムが自然法則に取って替わることで、アンチノミーの解消が反対命題のみが残ることで達成されるのではないかという懸念です。
抽象的な話のように思われるかもしれませんが、現状の市場経済というものもそういう状況ではないかと思うのです。

私はアンチノミーを理論的に解消することはできないと考えています。
アンチノミーとは、人間の「態度」でしか乗り越えられないものだと思っています。
そういう意味で、先日書いた、坂口恭平氏の『独立国家のつくりかた』で述べられている、「態度経済」という考えが重要だと改めて思いました。

「態度」こそが今の制度をPICSY的なものに変えていくのではないか?とも思うのですが、いずれにしても、変わった後の世界を具体的に提示することはとても重要です。
だからこそ、本書も多くの人に読んで欲しいのです。

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